産地の物語STORY

吉野川上村の産地の物語をご覧ください

土倉翁造林頌徳記念 磨崖碑

「土倉翁頌徳記念」という巨大な文字が、川上村の入り口にあたる大滝地区の吉野川の岩壁に刻まれている。まさに、ここから吉野林業の地が始まるという証でもある。吉野林業・中興の祖ともいわれる土倉庄三郎の偉業をたたえ、日本初の林学博士、本多静六が顕彰してこの磨崖碑を創った。土倉は、「利益の3分の1は国、3分の1は教育、3分の1は事業のため」という方針を貫き、私財を数多に投資した。板垣退助らの自由民権運動、同志社大学・日本女子大学の設立も支援。土倉が監修した『吉野林業全書』(著:森庄一郎、明治31年出版)は、持続可能な山林経営を理念にした林業技術や経営法がまとめられ、全国の林業家のバイブルとなっている。

吉野川 大滝(筏の水路)

日本の林業は川と共に発展した。天竜林業は天竜川、日田林業は筑後川。そして吉野林業は、この吉野川。山の合間を縫って流れる吉野川は、やがて和歌山県へ流れて紀の川と名を変え、瀬戸内に注ぐ。丸太は和歌山で加工され、大阪や江戸へと運ばれた。道端からこの吉野川をのぞきこめば、筏流しの姿とともに、林業にかける川上村の想いが、身に迫ってくる。(*)この写真の風景は、明治期に川の左岸側の岩を削り、筏が通りやすいような水路を人工的に作った場所。この水路により、多くの木材が搬出しやすくなり、吉野川を流れ下った原木丸太が全国へと渡った。

吉野美林

日本三大人工美林の一つとされる美林。吉野の桜と吉野の杉は、日本の美の象徴とされている。その人工林とは、人が植えて育てた林業地のこと。百年の木を作るのには、どんな資産があっても明日すぐできるものではない。数百年前に植えた多数の木々を撫でるように育て、間引きをし、代々見守りながら、最終的に数百年の木になるのは数%である。人の技術と自然の叡智とが掛け算されて、先人からいただいた遺産として吉野材が使われ、そしてまた美林が代々残されていく。

原木市場(吉野木材協同組合連合会)

吉野材の品質を高らかなものとしているのは、吉野特有の気候、土壌、品種はもちろん、百年以上かけて一本の木を育てあげる吉野林業の技術と歴史があるからだ。川上村では、「山守」と呼ばれる森の管理人が活躍している。山の所有者から代々、山の管理を任されている山のプロフェッショナルだ。その山守から原木が集まるのがこの地。吉野材、産地直送の特選市場。優良材、大径木、百年級以上の吉野杉、吉野桧の原木がそろう。

原木と刻印

吉野の木が全国ブランドになった理由、それは木材としての圧倒的な質の高さにある。川上村の吉野材の特徴は、1.無節で綺麗、2.年輪幅が均一、3.緻密で整った木目、4.真円の年輪で通直完満(まっすぐで丸く)、5.本末同大(端正な円筒形)な形の丸太、6.美しい色つや、7.強度が強い。つまり、吉野杉・吉野檜は建築用材として、扱いやすさ、美しさともに最高級である。また農業や漁業でトレサビリティが言われて久しい昨今、吉野林業においては昔から、山主、山守が分かる刻印が常に刻まれており、物語は紡がれている。

競り

吉野杉、吉野桧の1本1本の原木を見ながら、この川上村産を中心とした吉野材にほれ込んだ製材所、加工家が集まり、どんな木目ができるか想起をし、競りをする。振り子と呼ばれる掛け合いにより、まさに品質の高い原木は競りあがっていく。奈良県下では、5つの原木市場があり、それぞれに原木の樹種、品質、量、年数等による特徴があるが、特に老舗林業家が直送する特別市は、川上村産の大トロ級の吉野杉、吉野桧が出品され、全国のバイヤーが集まる。

製材

丸を角にし、建材、部材としていく工程は、一般の大量生産の工場とは異なり、1本1本性質の異なる原木を見て、どのような木目がでるかを推察しながら丁寧に鋸を入れる。6mを超す長尺であっても節がほとんどなく、細かく均一な年輪で、色艶と香りがあり、淡い紅色をした木肌が表れ、品位と品格がある。端材は、特徴的な木目がでれば木工家らに利用され、また側の板については割りばし等に活用される。ここ吉野では、国産の割りばし8割のシェアがあり、吉野杉の割りばしは高級料亭等に使われる。余すことなく素材を利用する日本の木の文化の象徴でもある。

製品

製材された木材は、1つ1つの赤身と白身の色合い、柾目と板目の意匠性をみながら、仕分けをされていく。また、寸法精度を見ながらも、よりよい品質のものを選別していく。そして、じっくりと乾燥をし、建築家や木工家の元に届くのは、半年〜1年以上寝かしてから加工したものになり、風合いを生み出す。

伝統技術 ~職人の手作業~

挽物木地をつくるために、轆轤・木工旋盤を使い、ミリ単位の力加減で慎重に刃を入れる。静謐な工房で精神を研ぎ澄まし、素材の質感と手の感覚とを頼りに角材から丸みをつくりだし、イメージした造形にしていく。川上村では、かつて轆轤職人が木を挽く木工所があった。現在もその学びを得た木工家と、技術を伝達された移住の木工家がおり、食器、ぐい飲み、高坏(たかつき)等、1品1品とも木目の異なる作品を仕上げる。

新技術 ~Free form Lamination~

スコットランドで習得された特殊技術。年輪の緻密な吉野杉の薄い単板を何枚も重ね、積層し圧着する技術により、接着の強度をそのまま木材の強度へ補填される技法。型を使用しない為、型の制限を超えた自由な造形を可能としている。まさに、節のない柾目が通った吉野杉ならではの表現で、世界には他とない作品が生まれる。

川上村の風景

平地が殆どなく田んぼが一つもない川上村。集落では、林業のみで山林資源を収穫することが求められた。山間で林業を営むことで発展した林隙集落と、原木を運ぶ筏によって川の近くで暮らしをしていた土場集落とがある。多くの土場集落は大滝ダムに沈んだが、現在でも吉野川の支流にある林隙集落の近くには、清流の音が聞こえる暮らしがある。薪ストーブ、薪風呂の在る昔ながらの暮らしや、新たに、山村カフェ、登山アウトドア、農家民宿、樽丸づくり継承等を行う等、多くの若者が移住し、新たなローカルベンチャービジネスも展開されている。

水源地の村づくり

吉野、高野、熊野と繋がる参詣道は世界遺産であり、川上村にある大峯奥駈道は、多くの修験者が踏みしめてきた道で、山岳宗教と吉野林業には深い関係がある。川上村を覆う山々は巨大な杉・檜が育つ人工林が広がり、吉野川の源流域には手つかずのトガサワラ原生林等の森もある。吉野川は、川上村の中央を流れ、紀の川として和歌山県まで流れていく。信仰の地を守り、下流域の人々の生活を守るために、大迫ダム、大滝ダムという二つのダムを持つ川上村は「水源地の村」として、この地とともに生きていくと決意した。